自己紹介になり得るもの

「自分らしい文体」ってなんぞ?ブログのキャラが定まらないの巻。

先日、新書について語る記事を書きました。

意外と知らなかった「新書」の世界。そもそも新書とは?どんなところが魅力? 「にわか本好き」の浅田めめんとです。 いや、読書好きを名乗るのに条件なんてないんだけど、なんとなく「本の虫」とか「活字中毒」と呼...

自己紹介としての記事をのぞけば、このブログでは第一号の記事です。

最近ハマっているものについて語ったり、知らなかったことや調べたことを書いて、「誰かにとっても面白い情報だったらいいな」とほくそ笑むのが好き。
なので、書いていて楽しかったです。

ただ、投稿ボタンを押してひと満足したあと、若干のモヤっと感に襲われました。

「なんか、張り切り過ぎてない?」

「真面目なのかテンションが高いのかよくわからん。」

「もっとゆるく、エッセイみたいなのを書くブログをやりたかったんじゃないっけ?」

「っていうか、私らしい自然な文体ってどんなだ?」

みたいな自問自答。

単純に、自分が書いたものを世に放つ緊張感でソワソワしてしまっただけかもしれません。

でも、実はブログ自体は学生時代から何度も挑戦しているし、Wordpressでブログをやるのもはじめてではありません。
自分の声を録音して聞くことに比べたら(あれは拷問だ)、文章を書いてアウトプットすることにはよっぽど慣れているはず。

なのに、なのに……。

なぜかこのブログで発信を始めようとしたとたん、突然キャラ迷子になった。

どういうことなんだ…!

個人の文体ってどうつくられるんだろう

そもそも、その人特有の文体みたいなものって、どうつくられるんだろう。

創作活動として文章を書いている人や、ビジネスなどでなにかしらの発信をしている人を除けば、「自分自身の言葉を(そこそこな量の)文章として書く」機会って、意外とないのかもしれない。

業務上のメールは定型文のようなものがあるし、身近な人とのLINE、SNSでは、大体は短いやりとりだろうし、友達に話しかけるような感覚なんじゃないかと思います。

長い文章でなにかについて語るなんて、学生時代の課題以来やったことがない、という人も少なくないのではないでしょうか。

そういう方がある日ブログをはじめることになったら、一体どんな文章を書くんだろう……と、純粋に興味が湧きます(本当に純粋に、わくわくするという意味で)。

実は意外なところで影響を受けたものが文章に出たり、逆にこれといったロールモデルを持っていないからこその個性が発揮されたりして、面白いんじゃないかなぁ。

身近な友人(創作関係でない友人)でブログをやりたがる人があまりいないので、なかなかそういった機会には出会えません。

たぶん、私が今までブログやらなんやらやってきたのを見ていたリアル友人たちは、「こいつはどうしてこうもネットの海に書いたものを放流したがるんだ」と思っていたに違いない。

そこについては、私も正直なんでなのかよくわかっていません。

今の文体ができあがるまで

「私らしい文体ってなんぞ?」と悩みつつ、今まで触れてきたもののなかで、影響を受けていそうな文化を考えてみます。

おそらく多分に含まれているのは、オタク特有のテキスト文化。

ブログはもちろんですが、ギャグ系の夢小説(※名前変換小説、ドリーム小説などとも言われる、いわゆる二次創作作品)の影響も大きい気がする…。

ツッコミや大声をクソでか太文字で表したくなるし、脳内の補足をとりあえず()内にぶち込んで処理してしまうし、真面目に語っていてもどこかでふざけたくなってしまう。

ただ、多用するとちょっと寒々しくもなるので、厨二病患者がうずく左腕を押さえつけるがごとく、今はがんばって我慢しているつもりです。
我慢……しているんです。これでも。

「ちょっとなんの話してるのか分からない」という人はごめんなさい。
べつに知る必要のない世界の話だと思います。


あとは創作活動をするうえで、なるべく見てくれる人を意識して文章を書こうという気持ちが芽生えてきたのも大きいです。

ネットに載せる以上言葉は選ばなければいけないし、なによりも「近寄りがたい人と思われたくない!」「陰キャだけど、なるべく読んだ人が明るい気持ちになる文章にしたい!陰キャだけど!」ということを意識していたように思えます。

そうやっているうちに、「ですます調」の方が落ち着くし、「(笑)」とかも書いちゃうし、たまに口語をまじえて……みたいな今の文体になった気がしてきました。

ちょっとしたキャラ迷子から、ここまで過去を振り返ることになるとは…。

そう考えると、ネット上で書く文章としては、そこまで自分からかけ離れたものにはなっていないのかもしれません。

結論:オタク人生の煮こごり

どうせなら知的なタイプのオタクになりたかった…。

黒歴史を恐れていたらなにも生み出せない(自戒)

見切り発車で書きはじめた記事ですが、とりあえず結論が出た(?)ので良しとします。

ただ、思わずこんなセルフツッコミみたいな記事を書いてしまったせいで、今後余計に意識してしまい、若干書きづらくなったかもしれません…。
人に口癖を指摘されたあと、なんか会話がぎこちなくなってしまうアレみたいな感じです。

ちなみに、誰にも見せないノートに文章をつづることも多いのですが、それが素の文章というならば、もっと根暗で叱咤激励が多いです(笑)

やっぱりどこか、ネットの文章は読んだ人が「堅苦しい」とか「とっつきにくい」とか思わないようにと、少しばかりテンションを上げてしまうところがあります(それを求められているとも限らないのに)。

なんやかんや、そういった葛藤や気遣いがまじり合い、それにこれまで浸ってきた文化が足されることで、今の私の文章ができているんだなぁと思いました。

これからもっといろいろな本やコンテンツと出会っていったら、その変遷がここに残ることになるのかもしれません。

この記事もいつか黒歴史みたいな扱いになるかもしれないけど(お前はなにを語ってるんだ!と耐えきれず消したらごめんなさい)、引きつづき試行錯誤しながらブログを書いていきたいと思います。

よく分からない記事になってしまったけど、ここまで読んでくださりありがとうございました。

それでは、あでぃおす!ᐠ(   ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ

↑これもぶっちゃけ、キャラ迷子の結果生み出した「楽しいヤツだよアピール」のひとつです。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA